【過敏性腸症候群ガス型】大丈夫、普通の人生送れます【経験談】

過敏性腸症候群

私は高校生の時に過敏性腸症候群ガス型を発症しました。

一番大変だった高校を卒業し大学、就職、そして結婚、出産…過敏性腸症候群ガス型と共に人生を15年以上歩んできました。

中には私と同じように若くして発症し、今まさに悩んでいる、そしてこれからの人生どうなっていくんだろう…と漠然と絶望感に打ちひしがれている方もいると思います。

そんな方に敏性腸症候群を抱えながらも、普通の人生を歩めるよ」という激励を送りたい!

その為に私がどんな人生を歩んできたかを書きたいと思います。

私の人生は一つの例だと思って読んでいただけたら嬉しいです。

過敏性腸症候群を発症した私の人生

高校生で発症

忘れもしない高校1年生の音楽の授業中、突然我慢していたおならがお腹の中で「ぷぅぅ~~~!」と鳴りました。

それはそれは大きい音で自分でも初めての事にすごく驚きました。

そしてまた次の瞬間にも「ぷぅぅぅ~!」

それから、その授業中止まらなくなって、おそらく10回以上は鳴ったと思います。

音楽の授業中なので先生が話したり、生徒が順番にリコーダーを吹いていたのですが、そんな音で隠れようがない大きな音でした。

恥ずかしくてどうしたらいいのかわからなくて、とりあえず隣の子に「やばい、お腹の音が止まらないんだけど…」と言ったのですが、隣の子は「大丈夫だよ!」と最初は言ってくれて、でも鳴り続ける音に最後には笑っていました。

この出来事が私のトラウマであり、そして過敏性腸症候群ガス型の始まりでした。

それからというもの、お腹がまた鳴ったらどうしようという焦りと恐怖で高校に行くのが嫌になりました

母に相談し、病院に行ったところ過敏性腸症候群』であると診断されました。

精神的な要因が大いにある病気であるため、リラックスして過ごして、とお医者さんに言われました。

そして休憩時間に「ガス抜き」して、と…。

その時は確か薬も処方されませんでした

リラックスして過ごせと言われても、トラウマ体験がどうしても思い出されてしまってリラックスなんで出来るはずがありません。

それからというもの、静かな場所で何かに集中するということが出来なくなってしまいました

朝は絶対に排便してからでないと学校にいけないため、順調に事が進まない日は遅刻をしていました。

そして遅刻して学校に行っても授業中どうしてもお腹の膨張感や音が気になってしまった時や、その症状のせいで手汗や脂汗をかいて気持ち悪くなってしまった時には早退や保険室にいって休んだりしていました。

受験勉強にも全く集中できませんでした。

高校3年生になり大学受験のため某衛星予備校に通うことにしました。

そこでは一人一人のブースが設けられており、各自が好きなDVDをヘッドフォンをして見て勉強するスタイルだった為、お腹で悩んでいる私でも出来るだろう、と判断しました。

休みの日には朝一番に行って、奥の一番角のブースを使用させてもらったりしていました。

それでも、やはりダメでした…。

みんながヘッドフォンをして勉強している為、その部屋はヘッドフォンを外すとシーーーーンとしていて、その中でお腹が鳴ったり、おならをすると明らかに周りの人に聞こえてしまう環境だったのです。

予備校では受験勉強をしなければならないのに、お腹の事が頭からどうしても離れず、ただ苦しい時間が過ぎていく。

成績が上がるはずがありませんでした。

第一志望の大学の判定はD判定から上がることはなく、見事不合格となりました。

高校卒業後は滑り止めで受けていた、短期大学に進学することになりました。

苦しかった短大・大学時代

短大では、高校のように毎日びっちり授業という感じではなかった為、かなり気が楽になりました。

それでもやはり授業ではなるべく教室の一番後ろの角を選んでいました。

短大1年生の秋から4か月間だけ語学留学でアメリカに行くことになりました。

アメリカでは大学の寮に住み、3食ブッフエスタイルでした。

アメリカといえば主食がPOTATO!というイメージがある方もいらっしゃると思いますが、アメリカでイモを食べた記憶は全くありません。

また朝食を食べたあと、そのまま教室に向かう毎日だったのですが(友達と一緒で時間調整が難しかった為)、まだこの時も朝、排便をしなければ外出できない状態であった為、部屋を出る前にバナナを1本(時には+ベーグル半分)食べ、用を足してから、朝食会場に向かうという、朝食2回作戦を決行していました。

そんな生活だったもので、留学から帰国した時の体重は人生でMAX!なんとたったの4か月間で7キロも太って帰ってきました!笑

短大を卒業した後、そのまま就職せずに4年生大学へ編入しました。

これは自分でも選択を明らかに間違っていたと今でも思います。

なんでこんなに授業が辛いのにわざわざあと2年も大学に残るんだ?アホだ。アホでした私。

就職活動も辛かったです。

書類審査通った後の筆記試験。あれがまた辛かった

筆記試験は大学のように自分で席が決められない事が多かったので、間席なんかで試験を受けなければならない時は、辛くなったら誰に言って、どうやって離席すればいいのか…考えていたものです。

リクルートバックの中には常に整腸薬を忍ばせていました。

それがお守りのようになっていました。

そんな辛い就職活動を乗り越えて無事に志望していた業界に内定をもらう事が出来ました!!!

環境に救われた社会人生活

私は航空会社のグランドスタッフとして就職した為、普段はガヤガヤした環境で働けていました。

この選択は正しかった!

空港は騒がしいところなので、お腹が鳴ってもそれほど気になることはありませんでした。

もし今学生の方がこの記事を読んでくれていたら、空港で働くことはお腹の面だけで考えるとオススメかもしれません!(笑)

そして、以下のようなガス抜きポーズを実践することで、普段はお腹にそこまで気をすり減らすことはありませんでした。

【過敏性腸症候群ガス型】ガス抜きのポーズ【会社や学校でも出来る!】
外出先でも出来るガス抜きのポーズを紹介!

結婚・出産、気付いたら普通の人生を送っていました

社会人6年目の時に彼氏ができました。

この時まで私はしばらく彼氏がおらず、彼氏は欲しいけど、彼氏と部屋で二人っきりとかなったらお腹がいい子にしてくれる自信がなかったので、私は一生結婚とか無理だな~と漠然と考えていました。

しかし不思議なことにあんなに心配していた彼氏との時間は精神的に満たされていたからか、過敏性腸症候群の症状があまり出なかったのです。

それでも「お腹が弱い」という事は早い時期に伝えていて、何かあったら「おなかがぐるぐるする」という表現でその場を乗り切っていました。

その後結婚することとなったものの、恥ずかしすぎて夫には過敏性腸症候群ガス型であることを結婚前まで内緒にしていました。(結婚してからも、夫は私のおなかのことは何も気付かなかったそうです。そんなもんか)

そんな私も子供を授かり、育児生活が始まりました。

過敏性腸症候群の人にとって一日中ひとりで(子供はいるけど)家の中にいる日々なんて天国すぎ!

日中は家の中で放屁し放題!笑。

さすがに夫が帰ってきたら我慢しますよ!

トイレに駆け込むか、夫に音が聞こえない場所に避難してやり切っています。

育休が終わり、仕事に復帰することが決まりました。

もちろん社会復帰することにお腹の面で不安もあります。

正直言ってそれは大きな不安かもしれません。

でも育休中に毎日ヨーグルトを食べた、ゴボウも積極的に食べた、フルグラも食べられるようになった!

そう、育児をしながら腸のトレーニングもしていたのです。

そして何より母になり、精神的に強くなった…はず。笑

なので大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて社会復帰頑張ってきたいと思います。

過敏性腸症候群でも大丈夫、普通の人生送れます

こんなに長い記事を読んでくださりありがとうございました。

過敏性腸症候群に悩んでいる方、辛いですよね。

でも大丈夫。辛い事を乗り越えた先には必ず楽しい事や幸せな事が待っています。

そしてなんの苦労もしてこなかった人に比べて、きっと私たちは他人の辛さも理解出来る優しい人間になれるはず。

過敏性腸症候群だからって諦める事は何もありません

辛い時は逃げてもいい

私も逃げて逃げて、でもたまに頑張って、そして振り返った時に自分は普通の人生を歩んできたとわかりました。

自分の人生、そんなに悪くない、と今では思えています。

読んでくださった方にも絶対明るい人生が待っています!

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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