幸せな人生を送るための時間の使い方【三次活動がポイント】

Uncategorized

私は網膜色素変性症という目の病気を患っています。

この病気には視野狭窄、夜盲、羞明の症状があり、これらは進行性のもので、年々目が見えなくなってきていることを自覚しています。

五感に関する障害って、進行性のものが多いと感じています。

日に日に障害が進行する障害者にとって、健康かつ自由に動ける時間とは大変貴重なリソース、というか人生そのものだと思います。

さて、今回は時間と幸せについて考えてみたいと思います。

幸せになるヒントは、どのような活動に時間を費やすか

結論から言うと、三次活動に時間を費やすことが幸せにつながりやすい、ということです。

三次活動って、なんでしょうか?

そもそも、人間の活動は大きく3種類に分類されます。

  • 一次活動:睡眠・食事・トイレ・風呂・歯磨きなど
  • 二次活動:仕事・学業・家事・育児など
  • 三次活動:趣味・娯楽・スポーツ・休養・何かに没頭すること・社会的つながりを感じられる行為など

ざっくりとまとめると、一次活動は生命を維持するための活動、二次活動は社会を生きていくための活動、三次活動は幸せになるための活動、といったところでしょうか。

人は、世の中とのつながりを実感したり、思い出に残る体験をしたり、自分が理想とするイメージに近づく経験をすることで幸せを感じるといわれています。三次活動ではこれらを達成しやすいといえます。

ということは、そうです。三次活動にどれだけの時間を費やせるかが幸せになるポイントとなるのです。

私の場合、家族と過ごしたり、旅行にいったり、チョコレートを食べたり、スコーンを作ったりするときはものすごく幸せを感じられます。

もちろん中には寝ているだけ(一次活動)でとても幸せ、仕事や子育て(二次活動)をしていてすごく幸せ、と感じる方もいらっしゃるかもしれません。それは睡眠や仕事、育児がその人にとって三次活動的な性質を帯びているという側面があるからですね。

普通に人生を送っていると、幸せになるための時間は少ない

幸せになるために三次活動に時間を使いましょう!と言いたいところですが、ここで残念なお知らせです。

世間で言われる普通の生活をしていると、三次活動に費やせる時間、つまり幸せになるための時間は「少し」しかありません。

なぜなら、いわゆる普通の生活をしていると、多くの時間を一時活動と二次活動で消費してしまうからです。

1年を例として、具体的に考えていきましょう。

1年を時間に換算すると8760時間です。(24時間×365日)

睡眠にかかる時間(ベッドに横たわってから、起き上がって次の行動をするまで)は毎日8時間として、1年で2920時間です。

食事・トイレ・風呂・歯磨きなどの生命維持に必要な時間は毎日1.5時間(90分)として、1年で548時間です。

これらを合計すると、一次活動で費やす時間は3468時間であり、1年の40%を占めます。

次に二次活動です。

年間250日出勤するとして、仕事に関係する時間(勤務時間、通勤時間、休憩時間)を10時間とすると、1年間で仕事に費やす時間は2500時間です。

家事・育児には1日平均で3時間を費やすとすると、それらにかかる時間は1年で1095時間です。

二次活動だけでも年間3595時間を費やしています。

一次活動と二次活動にかかる時間を合わせる7000時間以上となり、1年の約80%を占めます。

言い換えると、1年のうち三次活動(つまり、幸せにつながる活動)に使える時間は20%程度しかありません!

だから、 三次活動に費やせる時間、つまり幸せになるための時間は「少し」しかないのです。

残業をしたり、休日も一日中子どもの面倒を見たりしていると、さらに時間は減っていきます。

もちろんこれは大まかな試算にすぎず、当人の家族構成や働き方、生き方によって大きく変わってくると思います。

それでもやはり、普通に働いて家事や育児をしていると、これほどまでに自由な時間が少ないのかと実感せざるを得ないのです。

幸せな人生を送るためにはどうしたらいいか

ではどうすればいいのでしょうか?

方法の一つとしては、可処分時間(自分の意志で費やせる時間)を増やし、三次活動に充てるということです。

でも、この可処分時間の捻出というのが難しいんですよね。

家事・育児に時短術を取り入れたり、少しでも残業や通勤時間を減らすような工夫は続けていきたいところです。

また、いっそ経済的自立を果たして仕事をやめるというのも、可処分時間を創出する有効策だと思っています。

失明しても、身体を自由に動かせなくなっても、幸せな人生だったと思いたい

時間と幸せについて考えてきました。

特に私のような進行性の障害を患っている人の場合、時間に対する切迫性は一般の方よりも強いかもしれません。

いつも思うのです。

  • 比較的目が見える今の時間
  • 今よりも視野が狭くなっているかもしれない数年後の時間
  • 目が見えなくなっているかもしれない数十年後の時間

たとえ同じ時間の長さであっても、これら時間の価値は全く異なるのだろうと。

もちろん、何年後にどの程度目が見えていて、なんてことは誰にもわかりません。もしかしたら天寿を全うするまで、目が見えているかもしれません。

しかし、それでもやっぱり、私は目が見える今という時間を大切にしたいのです。

目が見えるうちに見たいものを見て、自由に身体を動かせるうちにやりたいことをやる。

やがて一次活動しかできなくなる日が来たときに、自分は幸せな人生を送ってきたと思える、そんな状態になれるまで、今という時間を大切にして生きていきたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました